見つかった亀甲船の図面

しかし、亀甲船については当時の船体が現存しているわけではありません。文献の記述も具体性に乏しいため、くわしいことはほとんどわかっていないようなのです。

そもそも、これだけの異様な形の敵艦に大敗したのであれば、当然、日本側に記録が残っていると思われますが、そのようなものもないようです。

『日本史サイエンス〈弐〉―邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く』(著:播田安弘/講談社)

また、李舜臣自身も、もし亀甲船によって圧勝したのであれば、その形状や、優秀性、戦闘の経緯などを日記に記録するはずと思われますが、前述のように「亀甲船」という名前こそ出てくるものの、形状などについての記述はありません。

そのため残念ながら、亀甲船が本当に実在していたかは疑わしいという見方が多く、筆者自身もそう思っていました。

ところが、非常に面白い資料が見つかったのです。

前作『日本史サイエンス』に関心を寄せてくださったノンフィクション作家の山根一眞氏との対談がブルーバックス編集部で企画されました。その折に山根氏に、韓国で1976年に出版された朝鮮王朝の軍船についての研究書を見せていただきました。

『朝鮮王朝軍船研究』(金在瑾著、韓国文化研究叢書)というその本には、筆者がこれまで見たことがなかった亀甲船の詳細な情報が載っていて、思わず興奮をおぼえました。

古書店を探したところ運よく一冊入手することができ、そのことを山根氏に伝えると、日本でこの本をもっているのは私たちだけかもしれないと喜んでくださいました。

『朝鮮王朝軍船研究』に収録されている亀甲船の図面には、非常にリアリティが感じられます。専門的には、櫓を漕ぐスペースを確保するためには上部構造の幅はもう少し広くなければならないなど、整合性に欠けるところもあるのですが、少なくとも、これまでになされていなかった亀甲船の性能や交戦力の推定は可能となりそうです(図1)。

図1『朝鮮王朝軍船研究』に掲載されていた亀甲船の図(『日本史サイエンス〈弐〉』より)

そこでここからは、亀甲船が実在していたという想定に立って、その戦闘力を技術的に解析して、日本水軍との海戦はどのような戦いであったのかを再現してみることにします。