実験でわかった櫓の性能と船速

ところで、昔の船の推進方法としては、帆と、櫓とオールがありました。しかし、16世紀当時の和船では、横流れを防止する深いキールやセンターボードがなく、帆は追い風専用で、現代のヨットのように風を受けて推進力を生みだすことはできなかったので、基本的には櫓やオールで推進し、帆で進むのは追い風のときだけでした。

櫓とオールの違いは、櫓は揚力による推進で、オールは抗力による推進であるということです。

櫓は推力を出す水中部分と、上部の漕ぐ部分に分かれ、中間に支持点があり、ロープで連結されています。漕ぎ手は立ったまま、体を前後に動かし、腕と全身の力で漕ぎますから、人力による推進装置としては工学的にもすぐれていて、一人でも長時間漕ぐことが可能です。

オールも支持点で反力を受けますが、後ろ向きに座って腕と上半身の力で漕ぐため、推進効率が悪いうえに疲れやすく、櫓のように長時間の航行には向いていません。したがって、当時の船のほとんどはオールではなく櫓推進でした。

ところがこれまで、かつての船の櫓の性能や推力については、あまり調査がなされておらず、文献も少なく、よくわかっていないことが多かったのです。

筆者が『日本史サイエンス』で、秀吉は中国大返しで船を利用したという説を書いたところ、NHKの『歴史探偵』という番組からそれを検証したいとの申し出があり、当時と同じ小早船と呼ばれる小型船を使っての瀬戸内海の航行実験を、筆者が技術指導と監修を担当して行うことになりました(写真)。

写真:実験に使われた小早船(写真提供:著者)

実験では、村上水軍の拠点だった能島において、櫓漕ぎテスト、曳航テスト、横揺れ周期の計測などを行い、当時の船の速力と抵抗、そして櫓の推力について、非常に貴重なデータが得られました。これをもとに、亀甲船の櫓の能力を推定してみましょう。

実験に使用したのは小型の小早船で、全長10m、幅2m、深さ0・45m、満載排水量1・33tでした。この船の櫓漕ぎテストと曳航荷重テストの結果から、櫓1本の推力は、時速約4・5㎞(2・4ノット)で進んでいるときで、約11㎏と推定されました。これは亀甲船でも関船でも同じです。

ここで、櫓の速力と推力は一定と仮定し、亀甲船と関船の櫓の本数を、どちらも16本と仮定します。それらすべての櫓から生みだされる推力は、11×16=176kgとなります。

そこで、図4に示した速度と抵抗値の関係から、全抵抗176㎞のときの亀甲船と関船、それぞれの速度をみると、亀甲船は約3・9ノット(時速約7・2㎞)、関船は約5・5ノット(時速約10・2㎞)であることがわかりました。

その差は1・6ノット、およそ時速3㎞と、かなり違います。その理由は、これまで述べてきた船の形状の違いにあるのです。

※本稿は、『日本史サイエンス〈弐〉―邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く』(講談社)の一部を再編集したものです。


日本史サイエンス〈弐〉―邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く』(著:播田安弘/講談社ブルーバックス)

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