【1963/昭和38年】
「再婚自由化時代」佐藤愛子

「再婚自由化時代」佐藤愛子
いまや世代を超えて愛される、佐藤愛子さんの痛快エッセイ。小説家の佐藤さんに、エッセイを書くようはじめて依頼したのは三枝さんだったという。

五十年前、私は来る日も来る日も売れない小説を書いていました。自分の書いたものがどの程度のものかは考えませんでした。考えてもわからないのでした。

行く先は「闇」でしたから、書くしかないから書いているだけであまり楽しい日々とはいえませんでした。芥川賞とか直木賞とかは別世界の人のことでした。とにかく商業誌に出たい――思うはそれだけでした。

そんな時に初めて原稿依頼が来たのです。当時、女性誌の先頭を走っていた『婦人公論』からでした。編集長はおそらくこの国では初めての三枝佐枝子という「有名女性編集長」でした。

すらりと痩せて見るからに知的で、品格、押し出し、日本女性の先頭を切って生きている、といった貫録で、三人のお供(?)を引きつれて(私にはそういう感じ)我が家の応接間に入ってこられた時は、緊張のあまり挨拶に答える私の声は裏返ったのでした。(中略)

そうして書いたエッセイが、冒頭の「再婚自由化時代」です。(中略)

日本女性はまだ男社会の価値観の中にいて、離婚は「女の恥」とされ、不幸な女性は世間態ていのために忍従に耐えていた時代です。原稿が気に入られたのか、それをきっかけに私は『婦人公論』でエッセイを書くようになりました。

(佐藤愛子著『気がつけば、終着駅』「前書きのようなもの」より)


私のいた頃の『婦人公論』の歩みは、まさに戦後女性史そのものであった。

戦争で家族を失い、家を焼かれた女性たちが、どのように生き、自分の人生を切り拓いてきたか、『婦人公論』はその生き方を支え、励ましてきた雑誌と言ってよい。

思い出に残る一つ一つの記事に、私はそれを書かれた方々の熱い思いを心に浮かべるのである――三枝佐枝子