赤痢患者の隔離病院で驚異的な成果を上げる

第一医院を辞めた和は、新潟県の高田女学校の舎監(寄宿舎の監督)になります。高田では、公娼制度廃止運動が盛んに行われていました。遊郭へ売られていった黒羽の少女たちのことを忘れられずにいた和は、この運動に積極的に関わっていきます。

翌年、高田に「知命堂病院」が開院し、和は看護長の職を得ます。夏になると、近くの村で赤痢の集団感染が発生し、知命堂病院へ防疫の協力要請がきました。

当時、赤痢はコレラと並んで恐れられた病気で、死者数は伝染病の中で最多でした。治療法はなく、患者を隔離し、それでも流行が収まらない場合は、村ごと焼き払うということも行われました。医師の役目は隔離すべき患者を選ぶことのみで、選ばれた患者は「避病院」とは名ばかりの隔離小屋へ収容され、糞尿にまみれてただ死んでいくだけでした。つまり村人たちにとって「防疫」は、恐怖の対象でしかありませんでした。

和は、こういうときこそ看護婦の出番だと確信し、部下の看護婦数名とともに防疫の一団に加わります。村人たちの抵抗にあいながらも、避病院の改良に務め、死を覚悟していた多くの患者たちが生還を果たしました。

この成功により、各地の自治体や病院から、防疫の要請が相次ぎます。和は期待に応え、当時の医療水準では考えられないような驚異的な成果を上げ、看護婦の必要性を世に知らしめます。