3月20日、検察が抗告を断念したと巖さんに伝える
3月13日、ニュースで流れた、ある女性の満面の笑み――。57年前に起きた一家4人殺害事件の容疑者として逮捕され死刑が確定していた袴田巖(はかまた・いわお)さん(87歳)の姉、ひで子さん。東京高裁から巖さんの裁判の再審開始決定が出された瞬間だった。20日、その再審開始確定の報せが届いた場に報道関係者として唯一居合わせたジャーナリストが聞く、ひで子さんの半生と今の心境は(構成・撮影=粟野仁雄)

<前編よりつづく

中傷の言葉から酒浸りになった日々も

巖は獄中からよく家族に手紙を送ってきました。67年9月、静岡地裁で裁判中に味噌のタンクから血痕のついた5点の衣類が見つかった時は、「これで自分の無実が晴れる」と喜びに満ちた手紙が来た。でも、68年9月11日、まさかの死刑判決が出たのです。

味噌漬けの衣類は犯行着衣で、巖のものだとされて。母はショックで寝込み、「巖は大丈夫かい」と言いながら亡くなりました。脳梗塞の後遺症で寝たきりだった父も、後を追うように他界。兄や姉には家庭があるから、独り身の私が拘置所での面会などを引き受けました。

でも、巖の人格を貶めるような報道が相次ぎ、心ない言葉が耳に入ってきます。無実と信じていても、世間の風当たりに心が冷え、眠れない夜が続きました。深夜にウイスキーをあおり、二日酔いのまま出勤したことも。

職場の人は気を使って優しくしてくれたけれど、友だちとのつきあいは絶え、3年ほどは酒浸りで心も体もひどい状態でした。