元プロボクサーの輪島功一さんと(写真提供:袴田ひで子さん)

そんな私を変えたのは、支援者の方々の熱意です。巖の小・中学校の同級生で静岡大学の先生になっていた渥美邦夫さんが呼びかけ、支援の会ができました。冤罪を信じる方々が巖のために動いてくださるというのに、姉の私がこれじゃいけない。そう思って、お酒をスッパリ断つことができたのです。

76年5月の控訴審判決は東京高裁の法廷で傍聴しました。まさかの棄却。うなだれて連れて行かれる巖の姿は忘れられません。80年11月には最高裁で棄却され、死刑が確定。もう、周り中すべてが敵に見えました。

でも、救出運動の輪はさらに広がっていったのです。高杉晋吾さんの本『地獄のゴングが鳴った』で、冤罪事件として知られるようになったのは大きかった。

日本プロボクシング協会も尽力してくれました。名ボクサーだった輪島功一さんは愉快で、「何もしないからジジイとババアで手繋いでいきましょう」なんて言って、一緒に拘置所へ面会に行ってくれたんですよ。

東京拘置所へは毎月通いましたけれど、仕事とのやりくりに苦労しました。浜松からの新幹線の切符が高く、「もったいないのでは」なんて言う人もいたけど、冗談じゃない、殺されそうな弟がいるのだから。

冤罪事件では、身内の無実を信じていても世間体を考えて縁を切ってしまう家族も多いようですが、それじゃ警察の思うつぼ。だから余計に冤罪が起きる。肉親が頑張らなくてどうするんですか。