「上洛」は大名に共有された願望ではなかった

「上洛」があたかも大名たちに共有された願望であるかのようにミスリードしたのは、江戸後期の国民的作家、賴山陽の『日本外史』である。これは中国史の小島毅先生の見解ですが、卓見だと思っています。

足利義満の時代ならともかく、足利義昭が「御内書」をしたためて「上洛せよ」と言ったとして、それにどれだけの強制力があるのか? 

あくまでぼくは「ない」と思います。

しかもそれは「不埒な信長を討ち倒して、オレを支えろ」ということでしょう。

「天下人にしてやる」というなら食指が動く武将もいたかもしれませんが、「室町幕府体制の再建を目指せ。そしてお前はオレの下で働け」と言われて「はい! 自分の利益は度外視してでもがんばります」となるかどうか。

動く武将がいたとしても、上杉謙信くらいじゃないかなあ。