なぜ転んだかわからないと言ったが、実はわかっている。足を上げなかったからだ。

これも老化のひとつである。確実にそうである。

昔は足を高く上げて、ぱきぱきと歩いていた。ところがこの頃はずるりと上げる。どうかするとひきずって歩く。好きでひきずってるんじゃなくて、分析すれば、腰からお尻から太ももから、「あるく」に関わるすべての筋肉が老化して衰えているわけだ。

心では昔どおり歩いているつもりなんである。だから上げそこねたまま、次の動作に移ろうとする。それでもたついて前にのめる。バランスをくずして転ぶ。ああ、いやだいやだ。わかっているのに取り戻せない。

昔なら、くずれたバランスは立て直せた。今はそれもできなくなっている。ときどき、立ってるだけでもバランスが取れなくなってぐらりとする。何もしないのに、後ろや横に重心がずれていって、転びかけてたたらを踏むのである。

こんなふうに分析していくと、何も仏さまたちがあたしのことを疎ましく思って、ひろみ、わるいこといっぱいしてきたから慈悲なんて何もやらんと口々に言ってるわけではなくて、たんなる老化で、たんなる加齢で、転びやすくなっているのだとわかるのだが。