詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬2匹(クレイマー、チトー)、猫2匹(メイ、テイラー)と暮らす日常を綴ります。今回は「よろづの仏にうとまれて」。シカゴの町の路上で転んでしまったそうですが ――(画=一ノ関圭)
『梁塵秘抄』というのがある。昔々につくられた歌謡集。いや、これじゃあまりいい加減だから、今Wikipediaで調べました。
歌謡集(あってた!)。1180年ごろ成立。編者は後白河法皇。まあこんな情報はどうでもいい。あたしはこれがとても好きで、ときどき用もないのにめくって漫然と読むし、ふっと頭に浮かんでくるときもある。
よろづの仏にうとまれて。
この間、転んだ。いや転んだなんていう言い方じゃ生ぬるい。突然、手ひどく、舗道の上にばしんと打ちつけられた。
それはシカゴの町の路上で、あたしは古い友人や知り合ったばかりの人と、楽しくおしゃべりしながらピザを食べた。おいしかった。なんだったかな、アーティチョークと何かだ。それから友人とあたしは、Uberで次の場所に行こうとしていた。
Uberっていうのは、タクシーと違ってぱっと見にそれとわからない。アプリで連絡を取り合うし、ナンバーも車種も色もわかっているが、暗い路上で見えにくいことも多々あるのである。
それでそのときも、あっちの車かこっちの車かと右往左往していた。そしたら友人がとうとう見つけて、そっちへ小走りに走って行き、あたしも後を追ったら、すっ転んだ。
幸い駐車している車と車の陰になり、一緒にいた人たちには気づかれず、あらあらたいへんとか大丈夫とか(みんな日本語をしゃべる人たちだった)、そういう騒ぎを起こさずに済み、それで心おきなく、自分のやり方で立ち上がることができた。