尊徳さんと、
80年ぶりの再会

かくして約80年ぶりに二宮尊徳さんと再会することになった次第ですが、ページをめくりながら、「へぇ~っ、すごい!」と感心し、「これほどすごい人だったとは知らなかった!ごめんなさい」と謝ることしきり。わが身の無知と偏見を恥じる気持ちになりました。

江戸時代末期、農民出身の尊徳は荒廃した農村を再建するため、民主的な事業体による立て直しを実践し、村を再生させました。今でいう協同組合をつくったのですね。その手腕を買われ、藩の家老職を務める家の財政立て直しも命じられ、見事成功。これが評判を呼び、小田原藩の財政立て直しも命じられます。いわば地方再生の先駆者と言ってもいいようです。

なかには、尊徳が農民の出であるのに重用されることを妬み、足を引っ張ろうとする人たちもいました。しかし、今でいうところのマーケティングリサーチを徹底して行い、資料をきっちり揃えてぐうの音も出ないプレゼンをし、次々と改革を実践していきます。その方法論たるや、実に合理的で近代的です。また、身分制度が厳しかった時代なのに、身分が上の人に対しても忖度することなく自分の考えを表明したようです。経済人としてすぐれていただけではなく、時代を先取りした思考の持ち主であることもわかりました。

無教会主義を唱え、明治・大正時代に多くの人に影響を与えたキリスト教思想家の内村鑑三も、『代表的日本人』という著書で、日本を代表する5人の1人として二宮尊徳の名を挙げています。内村鑑三といえば平和主義を標榜し、戦争反対を訴えたことでも知られています。尊徳は、そういう人物からも一目置かれる存在だったのです。ちなみに内村鑑三は、尊徳が女性に対してフェアだったことも評価しています。