同年代の人の死を悼む心

ありがたいことに、94歳の父に電話をくれる同年代の友達がいる。ほとんどの人が父の会社の同僚で、共通の話題があるから話していて楽しいらしい。

話が弾み、案外長い時間話が途切れないのは意外だ。昔、男はおしゃべりと入浴時間は短いもの、と相場が決まっていたような気がする。父のような認知症ではなくても、電話の相手も物忘れの傾向が強いようだ。父は電話をスピーカーホンにしているため、毎回同じことを話しているのが聞こえてくる。

父が60歳で定年退職をしたのは、昭和最後の年の1989年。電話の相手と毎日一緒に働き、ゴルフや麻雀をしていたのは、もう34年も前のことだ。昭和のサラリーマンは非常に結束が固く、ずっと会っていなくても気持ちはすぐに昔に戻れるように見える。

5月初旬の夕方、私が父の家に入っていくと、父の大きな声が聞こえてきた。
「え? かわいそうに……」

相変わらずスピーカーホンなので、話している内容が私にも聞き取れる。電話の相手は、私も耳にしたことのある名前を挙げて、父に言った。 

「おくやみ欄に出ているけど、もしかしたら気付いていないのではないかと思って電話してみました」

情報は早く知っておきたい性質の父は、自分が気づいていなかったことが残念らしく、私に新聞を見て探すように合図している。

私はすぐにお悔み欄を開き、亡くなった方の名前を見つけた。そして、名前が書かれているところに指を当てて示した。父は自分で見つけたような素振りで話す。

「あ、私が取っている新聞にも出ている。90歳? まだ若いのに……」
「本当に、若いのに残念だね」

年齢を問わず、知り合いの訃報は悲しく、寂しい。それは当然だけれども、電話の相手は92歳のはずだ。94歳の父と92歳の友達が、90歳の訃報を、「若いのに」と悼む。

友の死は何歳になっても辛いものなのだろう。父の世話を通して、日本が超高齢社会であることを実感するようになった。