私が世話を焼き過ぎて、父の発動性が低下したのか

夕方私が行く前に、父から電話がかかってきた。
「今日、来るのか?」

仕事が忙しかったり、体調が悪かったりすると、つい不機嫌な声で私は言ってしまう。
「行くよ。出張以外は毎日行っているでしょ」

本当は仕事に没頭したいのに、毎日世話をしている私の負担を、父はあまりわかっていない。虫の居所が悪くて、父に嫌味を言ってしまったことがある。

「行かなかったら、晩ご飯どうするの?」

父は「自分で何か作って食べる」と返事をした。火を使っての調理が面倒になったらしく、3年くらい前からしなくなっていたのに、父は今もできているつもりらしい。誰かに頼らなければ食事を摂れないことをなかなか自覚してくれない。

今月も父の通院日に、私は担当医に相談した。
「父はデイサービスに行く日を除けば、一日中座ってテレビを見ています。以前はお米を研いで炊飯ジャーのスイッチを入れるところまでを父に任せていましたが、最近はほとんどしてくれません」

先生は私に淡々と説明する。
「発動性の低下ですね。娘さんたちが何でもしてあげて、不自由がないから、お父さんは自立してやる意欲がなくなっているのだと思います」

GWに遊びに来たひ孫を公園のベンチで見守る父(写真提供◎森さん)

何もできない幼い子どもを育てるように、父の世話を焼いていた私が、父の意欲を低下させたのか。考えてもいなかった指摘を先生から受けて、茫然としている私を気遣ったのか、先生は父に言ってくれた。

「ご飯を炊いてあげていたのですね。娘さんが助かっていると言っていますよ。これからも続けてくださいね」

褒められたのがうれしかったようで、父は研ぎ方のコツを先生に話す。

冷たい水で研いだ後に、コメ一合に対して氷を1個いれると、おいしく炊けるのだと、自分流のやり方を披露した。確かに父が研いでくれたご飯は、艶があって上手に炊き上がっていた。

先生の励ましの効果は表れず、父がお米を炊いてくれる頻度はどんどん下がり、しつこく頼んでやっと10日に1回ほどやってくれるのが現状だ。