イメージ(写真提供:Photo AC)
高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、94歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。

前回〈実母と姑、舅を同じ家で介護し、49歳で逝った母。「介護が終わる日は亡くなる日、嫌だと思ってはいけない」という母の言葉に、私はまだ縛られている〉はこちら

転ばぬ先の杖

父が現在自分でできている身の回りのことは、朝晩の着替え、歯磨き、トイレ。もうひとつは、杖なしで歩くことだ。よろめくことが増え、傍から見たらかなり危なっかしいが、本人はそう思っていないらしい。

「転倒して足や腰を骨折したら、長く入院しなければならないし、リハビリも大変だから、杖を買おうよ」

私と父の話を聞いていた義妹も、私と同じように杖の使用を勧めた。二人がかりで言うと、毎回のパターンで、父はどんどん頑なになる。

「俺は、何も困っていない。ちゃんと歩けている」

デイサービスの送迎の車に乗る時も、私の車で病院に行く時も、必ずよろめいて、人の手に支えられているのに、自覚がないのだろう。

介護事業所のケアマネージャーにも言ってもらったが、父は聞く耳を持たなかった。

こうなったら、父のかかりつけの医院に付き添いで行った際に、先生に相談するしかない。父は担当医を信頼していて、薬の飲み方などを指示されると、いつも素直に「はい」と返事をしている。

診察室で父の背後に立っていた私は、父の肩越しに伺いを立てた。
「パパ、私は先生に相談したいことがあるの。話していいかな?」

父は先生の前なので、にこやかにうなずいている。今がチャンスとばかりに私は、杖を持つことを父が拒む件を先生に相談した。

「先生、最近父は、足元が危なっかしいことが頻繁にあります。杖をついてほしいと思うのに、拒否するので困っているんです」

先生は、父をまっすぐに見て説得を図ってくれた。
「そろそろ杖を使いましょうか」

しかし、父は自信たっぷりに言い返す。
「いいえ、必要ありません。私は足が丈夫です」

「そうですか。94歳まで足が丈夫だったのは、立派ですよ。でも、いつか杖を使う必要が出てくるかもしれませんから、今のうちに練習しておきましょう」

それでも父は折れない。
「私は、杖が嫌いです」

どちらも口調はさほどきつくないのだが、内容的には結構なバトルだ。ハラハラしながら展開を見守っていると、先生はきっぱりとおっしゃった。

「元気なうちに杖に慣れておかないと、うまくつけなくて、手首をひねって骨折することがあります。手を骨折したら、ご飯を食べられなくなりますから、不便ですよ」

父は間髪を入れずに言った。
「結構です」

先生は切り札を出そうとしているのだろうか。数秒の間を置いてから、私の方をチラッと見て、茶目っ気のある表情を浮かべた。
「転ばぬ先の杖っていうじゃないですか」

ナイスですね!と、私は先生に拍手を送りたい気持ちだ。ところが、父はクスリともせずに答える。

「私は転ばないので、転ばぬ先を心配する必要はありません」
父に杖をつかせるのは無理だと悟り、私はすっかり気落ちしている。