介護に対する気負いを捨てられない理由
2022年1月に本連載が開始になると、読んでくれた方から、心配の声が寄せられた。車の自損事故によるショックでしばらく記憶をなくしていた父のことより、必死にケアしようと気負う私を心配してくれる声が多かった。
当時私は仕事が非常に忙しいうえに、大学院の修士論文の執筆締め切りが迫り、寝る時間がほとんどない状況だった。それでも父の世話を1人でしなければならないと、思い詰めた気持ちでいた。
高校時代からの友人が、本連載を読んで電話をくれた。
「頼めるところは人に頼まないと、あなたが倒れてしまうよ」
私はムッとしてしまった。誰に頼めというのか。事故の直後は年末に差し掛かり、スケジュール的に要介護認定の審査を受けることはできなかった。そのため、デイサービスなどを利用するすべがない。介護認定のための仕組みも知らない人に、干渉されたくないと反論してしまうほど、私はイライラしていた。
事故の後、父は1ヵ月程非常に体調が悪くなり、家の中で2回倒れ、救急車のお世話になった。病院に付き添うと1日つぶれる。時間をどうやりくりするかをいつも考えていた。
コロナ禍で医療の現場がひっ迫している時に、高齢者が救急車を要請するのも、世間に申し訳ない気がした。人に迷惑をかけないように、私がしっかり世話しなければならないと、日に日に気持ちが追いつめられていった。
私には弟が1人いたのだが、17年前に亡くなっている。弟の妻だった義妹とは、あまり行き来していなかったため、何をどう頼んだらいいかわからなかった。
振り返れば、なぜそんなに気負っていたのだろうかと疑問に思う。最近ようやく、親の介護で苦しんだまま亡くなった母の真面目さを、知らず知らずに手本にしてしまっていたことに気づいた。