「日本の神様は、よく言うとおおらかだし、悪く言うといい加減。男女の境もあいまいです」(本郷さん)

かつて男は よく泣いていた

大塚 時代を遡れば遡るほど、女の地位は低かったと思われがちですが、古墳時代前期には、全国の首長の約5割が女性だったとか。男女が同権同力の時代が昔はあった、ということですよね。今なんて、女性の知事は東京都と山形県のみなのに。

本郷 考古学のある先生の話では、卑弥呼など女性がトップに立つと、「戦争なんてやっている場合ではない」という方向になりやすかったのではないか、と。当時の人骨を調べると、矢などによって損傷を受けている骨が少ないことから、そう推測されるそうです。

大塚 興味深い話ですね。古典文学を読むと、平安時代は、家や土地は女性が優位に相続している印象があります。新婚家庭では、男が女のもとに通う、通い婚が基本だったのも理由のひとつではないかと思うのですが、いかがでしょう?

本郷 貴族の世界はそうですね。庶民がどうだったのかは、また別でしょう。

大塚 確かに……。ただ、嫡男が相続する家父長制度は、決して日本の伝統的な形ではなかったようですよね。やはり財産を持っているほうが立場も強くなる傾向にありますから、女性が相続で優位だった時代は、地位も女性が高かったのかなと。

そのかわり貴族の世界は、実家が裕福ではない女性はなかなかいい夫を得られなかったようですけれど。

本郷 鎌倉時代あたりまで、女性の力がかなり強かったのは事実でしょうね。

大塚 鎌倉時代初期の天台座主・僧正慈円(じえん)の著した『愚管抄(ぐかんしょう)』には、「女人入眼(にょにんじゅがん)の日本国(女性が最後の総仕上げをするのが日本という国である)という言い伝えはいよいよ真実」と記されています。