プルーストの『失われた時を求めて』の中に、紅茶に浸したマドレーヌを口に含んだ瞬間、記憶が呼び覚まされる場面があるのは有名ですが、まさに同じ感覚です。

人には、人生が方向転換する交差点のようなものがあって、きっとそこでモノと出合っている。そのモノさえあれば、いつでも世界が無限に広がっていきます。

人生100年時代は、「孤独」な時間をどう過ごすかが、テーマなのでしょう。モノと生きることは、実は孤独を楽しむ生き方につながります。コロナ禍のステイホームの期間、人と触れ合えなくなったけれど、僕は全然孤独じゃなかった。

一人で家にいても、ガラクタに囲まれ眺めているだけで、この50~60年間のことが思い出されてくる。記憶こそかけがえのない〈終生の友〉なのです。

だから断捨離もいいけれど、縁あって出合ったモノたちとともに生きるという発想も必要ではないでしょうか。

ペットを飼うのに近い、友だちとしてのモノ。捨てない生き方というのは、そんなモノとの関係のスタートと言えるのかもしれません。

<後編につづく