なぜ言語・地域固有性があるのか
そもそもオノマトペは対象を写し取っているはずなのに、なぜ言語の間でこんなに多様になってしまうのだろうか。その答えは、オノマトペは絵や絵文字とどう違うかという話と関係している。
絵や絵文字は、比較的容易に対象の物事全体を描くことができる。非常口のアイコンのように、デフォルメされていても全体の特徴を捉えていれば、対象が何かは誰にでもわかる。
しかし、言語の音(声)は、物事の全体像を真似ることが難しい。目立つ特徴をすくいとって模倣するのだが、物事の特徴は複数ある場合が多いので、どの特徴をすくいとるかは各言語に選択が委ねられる。
たとえば、動物を表すときには鳴き声の模倣が選ばれる場合が多いが、先ほどのネコの例のように、鳴き声のほかに、喉を鳴らす音だったり、ネコを呼ぶときの人の舌打ち音が使われる場合もある。これにより、「写し取り方」に多様性が生まれる。
これは手話でも同じで、ネコを表すのに、アメリカ手話では片手の人差し指と親指で髭を一本つまむ仕草をするのに対して、イギリス手話では両手の五本指で髭をなぞり、日本手話ではネコが顔を洗うように片手のこぶしを頬に当てる。
それぞれ、ネコの目立った特徴を写し取っているものの、何をどのように写すかは言語によって異なり、多様なのだ。
さらに、オノマトペは環境の音をそのまま模倣するのではなく、当該言語の音韻体系の制約を強く受けている。
ニワトリの鳴き声は日本語では「コケコッコー」だが、英語では日本語が通常用いない「ドゥ」という音を使って「コッカドゥードルドゥーcock-a-doodle-doo」と写すし、中国語では「グーグーグーgugugu(uは正しくは長音符号つき)」、タミル語では「コッカラココkokkara-koko」と聞く。そこでさらに言語による多様性が生まれる。