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20世紀を代表する天才画家パブロ・ピカソ。91歳で生涯を閉じるまでに約1万3500点の絵とデッサン、約13万点の版画や彫刻、陶器を製作し、最も多作な画家としてギネスに認定されている。2023年に没後50年を迎えるにあたり、世界各地で特別展が開催され、日本でも国立西洋美術館などで展覧会が行われた。そんなピカソの友好関係とは――。

●ピカソの言葉

他人の言葉を、書き、尊重し再生することは難しい。
たとえ、誰かが口にした言葉をとらえ、それをそのまま、一言一句変えずに書いたとしても、まったく別のもの、ときには正反対のものにさえなってしまう。だから難しいのだ。

ピカソを讃える友人の言葉

「言葉」を伝えることの難しさについての言葉です。

ピカソには若いころから言葉でピカソを援護する友人たちがいました。

詩人のマックス・ジャコブ、同じく詩人のアポリネールは、ピカソが成功する前からピカソの才能と強烈な個性に惚れこみ、ピカソが画業に専念できるよう支援し、美術雑誌にピカソの才能を讃える文章を書きました。

「ピカソは、ミケランジェロがほかのすべての人々を凌駕し、雲を突き破って太陽の光を求めて進むがゆえに鷲の名に値したように、そういう人々の一人だ」(アポリネール)

ピカソはアポリネールに画家のマリー・ローランサンを紹介していて、二人の恋愛、そしてアポリネールの失恋から有名な詩「ミラボー橋」が生まれています。

名声を得たのちも文学者たちとの交友を好み、言葉のセンスを磨き、文学的な知識を蓄えていきました。コクトーやエリュアールの影響もあり、一時期、詩作に夢中になっていたときもあるくらいです。