うつみ 食事をする気になれなくて、体重も37キロに。《骨皮筋子(ほねかわすじこ)》状態だった。どう過ごしていたのか、まったく覚えていない。本当に2年くらいの記憶が飛んでいるの。
太田 かける言葉が見つからなくて、どうすればいいのかわからない時期がありました。
うつみ 心配させてごめんね。でも、どんな優しい言葉も聞こえなかったと思う。いっぱい泣いて、ドップリと思い出に浸る時間が必要だった。
太田 欽也さんの一周忌に、ここで「愛川欽也メモリアルコンサート~ボクは、平和が一番大切だ~」を開催しましたね。私も参加しましたが、宮土理さんが元気を取り戻しつつあるのを感じました。
うつみ 私がしょんぼりしていたら、キンキンが悲しむんじゃないかと思い始めていた頃だったの。それにキンキンの「戦争は絶対に反対!」という遺志を伝え続けていかなくちゃと思って、一周忌は家で静かに過ごすより、キンキンがこよなく愛したこの劇場で、と考えた。そうしたら不思議ね、気力が湧いてきたのよ。
太田 宮土理さんが歌った「一本の鉛筆」という反戦歌が心に残ってます。素晴らしい歌声で。
うつみ だってキンキンが聴いていると思ったから……。
太田 私も、欽也さんは絶対来ているなと感じました。
うつみ 死んだ人って、死んでないのよ。生きている時より近くにいて、いつも「頑張れ」ってエールを送ってくれるの。それが私の元気のもと。
太田 いい話ですね。
うつみ 人様の前で歌を披露するのだからという気持ちもあって、重い心を引きずりながらレッスンに通ったの。これがよかった。思いがけず心が高揚して、引きこもっていたらダメだなと。弾みがついて、英会話学校のベルリッツに通うようになって。
太田 えらいなぁ。
うつみ あとは日にち薬ね。移りゆく四季の美しさに癒やされ、周囲の人たちの優しさに触れて、気づいたら笑ってた。