いきなり「レッスンしてみない?」と言われたんです
九重 田辺さんは、高校生のころにはもう六本木で遊んでたんですって?
田辺 児童劇団の友達に誘われて行くようになりました。そのころから六本木はだんだん「ナウい」スポットになっていったからね。当時の遊び仲間は、峰岸徹さん、井上順さんなど、そうそうたるメンバーでしたね。そして自然発生的にできあがったのが「野獣会」なんです。「いずれは芸能界で活動したり、アーティストになりたい」という志を持った男女が集っていたので、「野獣」という名前の割には、実はインテリで気の弱い少年少女の集まり(笑)。そして僕は、渡辺プロダクション創業者の渡邊美佐さんにスカウトされたんです。
九重 田辺さんが野獣会で遊んでいるころ、私は体操の先生を夢見る真面目な高校生ですよ。私の父は書道家で、頑固で融通のきかない昭和のお父さん。芸能界なんてとんでもないという家庭で育ちました。
ある日、自宅の近くで「ダニー飯田とパラダイス・キング」のイベントがあって、姉二人とお手伝いに駆り出されたの。そのときに、「どうぞ」ってお茶を出したら、ダニーさんが「あれ? 声、低いね」って。それで、いきなり「レッスンしてみない?」と言われたんです。
田辺 この人は「レッスン」とか「練習」とか「努力」が大好きなんですよ。(笑)
九重 じゃあ、お願いしますって歌のレッスンに通い始めて3ヵ月目に、「明日は池袋のライブステージでお客さんの前で歌うよ」と。いきなり「ダニー飯田とパラダイス・キング」の一員としてデビューすることに。
当然父は大反対ですから、ダニーさんが「僕が責任をもってお嬢さんを守ります」と約束して、私には「とにかく現場では、誰とも口をきいちゃいけないよ」とアドバイスしてくれました。私は真面目ですから当然守ります(笑)。だからデビューしてから、歌番組に毎日のように出ていたけれど、誰とも口をきかなかったんです。田辺さんと初めて会ったのはフジテレビのスタジオだったわね。ダニーさんから「あいつなら口をきいてもいい」ってお許しが出て、同じ学年の田辺さんを紹介してくれたんです。