最大限の効果を引き出した名作

そんな太宰治の小説「断崖の錯覚」を今回は例に出しましょう。そんなに有名ではない作品ですが、短い文章で最大限の効果を引き出している、読みやすいエンタメ作品としてバランスの良い話だなあと私は思います。

「断崖の錯覚」の主人公は小説家志望の男性。大作家と呼ばれたくて仕方がなかったけれど、彼はどうしたって小説を書くことができなかった。そんな彼が温泉の名所にやってきて、とある高級旅館に宿泊することにしました。

そこは尾崎紅葉が『金色夜叉(こんじきやしゃ)』を書いたことで有名な旅館。彼は小説なんて書けないのに、つい女中に「小説を書きに来た」と口を滑らせてしまいます。

「断崖の錯覚」は、当時にしてはかなり珍しい「ショートカットの少女」がヒロインであることが文学史上注目されるポイントです。大正時代から流行していたモガ=今時の若くおしゃれな自立した女性の象徴として、断髪した少女が登場していた時代の物語なのです。しかしそんな御託は置いておいて、本作の書き出しは以下の通り。

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その頃の私は、大作家になりたくて、大作家になるためには、たとえどのようなつらい修業でも、またどのような大きい犠牲でも、それを忍びおおせなくてはならぬと決心していた。大作家になるには、筆の修業よりも、人間としての修業をまずして置かなくてはかなうまい、と私は考えた。恋愛はもとより、ひとの細君を盗むことや、一夜で百円もの遊びをすることや、牢屋へはいることや、それから株を買って千円もうけたり、一万円損したりすることや、人を殺すことや、すべてどんな経験でもひととおりはして置かねばいい作家になれぬものと信じていた。けれども生れつき臆病ではにかみやの私は、そのような経験をなにひとつ持たなかった。しようと決心はしていても、私にはとても出来ぬのだった。十銭のコーヒーを飲みつつ、喫茶店の少女をちらちら盗み見するのにさえ、私は決死の努力を払った。なにか、陰惨な世界を見たくて、隅田川(すみだがわ)を渡り、或る魔窟へ出掛けて行ったときなど、私は、その魔窟の二三丁てまえの小路で、もはや立ちすくんで了(しま)った。その世界から発散する臭気に窒息しかけたのである。私は、そのようなむだな試みを幾度となく繰り返し、その都度、失敗した。私は絶望した。私は大作家になる素質を持っていないのだと思った。ああ、しかし、そんな内気な臆病者こそ、恐ろしい犯罪者になれるのだった。(太宰治「断崖の錯覚」『太宰治全集10』ちくま文庫、20~21ページ)

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『名場面でわかる 刺さる小説の技術』(著:三宅香帆/中央公論新社)