読者は常に予想する
たとえば「断崖の錯覚」の冒頭を、私が改悪してみました。もしこんな文章だったら、どう感じるでしょうか。
〈改悪例・NG場面〉
私は、そのようなむだな試みを幾度となく繰り返し、その都度、失敗した。私は絶望した。私は大作家になる素質を持っていないのだと思った。ああ、しかし、そんな内気な臆病者こそ、良い小説は書けるのだった。
小説の冒頭がこれだと……読者は「あっ、これはなかなか小説が書けない主人公が、大作家になるまでの作品なのね」と悟るのではないでしょうか。
この小説は「作家が作家の話を書いている」わけですから、ぶっちゃけ「太宰治が自分自身をモデルにして書いた私小説なのかな?」という予想を読者は立てているわけです。
読者は、常に物語の先を予想しながら読んでいるから。「こうなるのかなー」とぼんやり展開を想像しながら読んでいる。だからこそ太宰治もその作用を利用して、物語の最初は「その頃の私は、大作家になりたくて」と始めているんです。
「その頃の私は」と言っている時点で、読者に「あ、これ太宰治の自叙伝なのかな?」「青春回顧録なのかな?」と予想させている。しかしそこを裏切るのが、最初の「ああ、しかし、そんな内気な臆病者こそ、恐ろしい犯罪者になれるのだった」です。
展開を予想している読者は、油断しているのです。「あーはいはい、太宰の自叙伝ね(笑)」くらいに斜に構えている。そして油断というのは裏切ることができる最大のポイントなんですね。