京都人の始末との共通点

京都に住んでいる方全員がそれにあてはまるか、ということはさておき、確かに私の「あるものを工夫する」という姿勢と似ているように感じます。

たとえば私は最近、ロボット掃除機の「ルンバ」と電子レンジの「ヘルシオ」が欲しいと考えていました。

この二つの電化製品があれば、毎日の掃除や料理が楽になるのは間違いない。

でも、いわゆる京都人的な視点で吟味してみれば、掃除は運動だと思えばいいのかもしれません。ヘルシオのような最新の電化製品でなくても、普通のグリルでも同じ料理はできる。そういった結論を導き出すことができました。

実際、このように欲しいものを吟味してみると、ほとんどのモノは新しく手に入れなくとも大丈夫、という結論に落ち着きがちです。

さらに京都で言う「始末」の中には、「ものを捨てない」という精神もあるそうです。

壊れてもなるべく修理して使う。食べ物も日用品も最後まで徹底して使う。私自身、着物を素材にテーブルクロスやカーテン、洋服を新たに作ったりと、「始めから終わり」まで使いつくしてきたので、この部分も強く共感を覚えました。

こう書いていると、京都流の「始末」は、まさに私の「節約」そのものと思えてきます。