「分相応」と「福分」

「分相応」という言葉があります。

もちろんこれは「自分の分=身分にふさわしいもの」、といった意味ですが、私にとって、本当の意味で「分相応な暮らし」はあまりに味気ないものになってしまうと思います。

なぜなら、少ない年金という「枠」におさめようと考えるだけの暮らしでは、なかなか心が弾む機会は得られにくいから。

そんなときに見つけたのが「福分」という二文字でした。これは、作家・幸田文の対談集を読んでいるときに目に飛び込んできた言葉です。

ある女優が「私はあまり高いものは買わない。なんとか安くあげようと苦心する」と言うのに対し、「それがあなたの福分なのね」と幸田は返していました。

福分とは「仏教、善行、修行の結果が現世で利益の形になったもの」、あるいは単に「幸運、よき天運」という意味だそうです。なんといい言葉でしょうか。