不幸なのは自分の気持ちを抑え無理をすること

幸せぐせの答えは、Aの「介護費用だけ分担する」です。

Bのように、「親だからどんな事情があっても面倒を見るのが当然だ」と考える人からすれば意外な答えでしょう。けれど、親不孝者と人から後ろ指をさされたくないと、したくもない介護を引き受けてしまうほうが不幸です。よく考えてみてください。親の面倒を見たくても、自らが病気でできない、あるいは遠方に住んでいて物理的にできないという場合もあるはずです。直接的な介護をしないのは、それとどう違うのでしょうか。

いちばん不幸なのは、自分の気持ちを抑え無理をすること。イヤイヤながら親の介護をすれば、「なんで顔も見たくない親の介護をしなくてはいけないの」「きょうだいの言いなりになんかなるんじゃなかった」など、不満が次から次へと出てくるのは目に見えています。自己憐憫に陥ったり、人を憎むような怨念めいた思いが膨らんだりしては、不幸への道を突き進む一方でしょう。親孝行という仮面をかぶって、自分に嘘をつきながら介護するのはあまりにもしんどいはずです。

(イラスト◎大野舞)

とはいえ家族と縁を切ったわけではなく、きょうだいには親に対するほどの確執もないとなれば、自分ができること、できないことをハッキリさせるのが大切です。たとえば、「親の顔は見たくないから直接の介護はできない。でも、ここまでなら費用は出せる」というように、線引きしてみてはいかがでしょうか。世間にどう言われようと、そのぐらい割り切ったほうがむしろ幸せぐせです。