最終的に人を支えるのは「家事力」

もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。

でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。

だいたい、家事をしない人は、お金を稼ぐことはできても案外「使うこと」ができない(写真提供:Photo AC)

家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。

家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。

人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。

それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。

それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。

だいたい、家事をしない人は、お金を稼ぐことはできても案外「使うこと」ができない。

使うといえば、飲み代とか、趣味の何かを買うとかいうことであって、つまりは「小遣いの使い方」しか知らないのだ。

いうまでもなく、最も大事なのは小遣いではなく生活費の使い方である。

自分の人生の土台を成り立たせるための堅実な支出の方法である。つまりは「生きていくのに実際いくらかかるのか」という実感である。

これは家事をして初めて身につくことだ。これができていないと、お金に対してただやみくもに執着することになる。

最低限これだけあればなんとかなるという「軸」がないので、何はともあれお金がたくさんなければ人生はどうにもならないと思い込み、定年後に身の丈に合わないオイシイ再就職や起業など夢見て挫折しウツになったりするのはこのような方々だ。