「想い出の渚」ヒット中に沢田と出会った

GS時代の先輩グループ、ザ・ワイルドワンズを率いた加瀬も、沢田にとってはヒョン(兄貴)である。41年生まれの加瀬はビートルズに憧れ、自分で曲を作ったミュージシャンの嚆矢とも言える存在だ。

『ジュリーがいた――沢田研二、56年の光芒』(著:島崎 今日子/文藝春秋)

慶應の高校生だった頃に加山雄三と昵懇になってギタリストとして音楽活動をスタートさせ、大学生になるとプロの道へ入った。かまやつひろしと一緒にザ・スパイダースに参加し、寺内タケシとブルージーンズで内田裕也と一緒にやっていたこともある。

沢田と出会ったのは、ワイルドワンズを結成し、自作の曲「想い出の渚」をヒットさせていた66年の秋であった。

私は、2010年、「ジュリー with ザ・ワイルドワンズ」の全国ツアー終盤に、安井かずみについての取材のため加瀬の事務所を訪ねている。陽気で、人懐っこい加瀬は安井を語っても沢田を語っても温かく、また語ることが楽しいという風でどんどんエピソードが出てきた。

沢田に関しては、初対面の時はメンバーに隠れるようにして一言も話さず印象が薄かったのに、はじめてステージで歌うのを見た時の衝撃は忘れられない、と話した。当人には「沢田」と呼びかける加瀬が、外に向けては「ジュリー」と呼んだ。

〈こいつは凄い、こんなに変するのかと驚いた。独特のオーラがあって、客席全体に彼のエネルギーが行き渡るような感じがして、絶対売れると思ったよね。あれは持って生まれた華だね〉(『安井かずみがいた時代』)

同じ事務所に所属していたこともあって、タイガースとワイルドワンズは夏休みを同じ時期にとるほど、仲がよかった。

ことに加瀬と沢田はうまが合って、休みの日になると沢田は加瀬の麻布の家にやってきては、ご飯を食べた。飲めなかった沢田に酒を教えたのも、引っ越し先を探したのも加瀬の母親だった。加瀬が海に誘えば、海が好きでもないのに沢田は「行きます」とついてきて、したこともない釣りをしてボートに酔った。