熱狂的でピュアなファンたち

68年4月に公開されたタイガース最初の映画「世界はボクらを待っている」には、ヒートアップしたタイガース人気が映し込まれている。ジュリーの影武者が何人かいたことは、ファンの間ではよく知られていた。

『ジュリーがいた――沢田研二、56年の光芒』(著:島崎 今日子/文藝春秋)

影武者が先に出て出待ちのファンをひきつけている間に、隙をねらってジュリーが脱出するといった具合なのだ。36歳の時に半生を語った『我が名は、ジュリー』で、沢田もこう振り返っていた。

〈まあ入るときというのは、そんなに心配ないんだけど、終わった直後というのは、女の子たちも興奮しているし、いつもまともに出た覚えってないんですよ。トラックの荷台に隠れて抜けだしたとかね、そういうのばっかり〉

ペンダントやブレスレット、ステッカー、ハンカチ、スリッパ、筆箱や下敷き、タイガース人形にいたるまで、キャラクター・グッズが友の会を中心にして売り出されていた。

森が現場マネージャーだった時も、タイガースはまだ明治製菓のCMに起用されていた。園まりやアグネス・チャン、小柳ルミ子らに伴走し、90年には渡辺プロの制作部長に就いた人は、冷静に分析する。

「いつの時代でもグループはビジネスになります。ビートルズもそうだし、キャンディーズも、ジャニーズも、K-POPも。当たれば掛け算で売り上げに貢献するんですよ。ことにあの時代の、タイガースのファンは熱狂的な上にとてもピュアで、出すもの出すもの全部買ってくれましたからね。渡辺プロは業界のオピニオンリーダーでイノベーターだったわけですが、渡辺音楽出版を作って、アメリカのエンタメ業界に学んでパブリッシャービジネスを取り入れたのもそのひとつです。タイガース人気は、渡辺プロの組織マネジメント力が大きかったと思います」