紙媒体でも注目の的に

GSブームが頂点に達した68年4月にはタイガースがCMソングを歌う「ティーンルック」が、5月には「セブンティーン」が創刊され、ティーンエイジャーをターゲットにする2誌の中心記事はGS情報だった。

既に「週刊マーガレット」や「週刊少女フレンド」など小学生も読む少女漫画誌に、「タイガース物語」や「沢田研二物語」が連載されていた。ひらがなの多いノンフィクション風の記事は、芸能誌に連載された同様の記事とほぼ同じストーリーであった。

私と同世代の女性には、いまだにメンバーの家族構成やジュリーの家族の名前を覚えている人がいる。少女漫画を読んでいたからだ。62年創刊の「週刊少女フレンド」も63年創刊の「週刊マーガレット」も総合誌としてスタートして、女性誌が生活誌やファッション誌に細分化される70年代後半までその路線が続いた。

漫画の他にお洒落やファッション情報、アイドル情報、小説やノンフィクション、読者のページに身の上相談、当時新しかった星占いなど。63年のケネディ大統領暗殺のあとには「キャロラインちゃん物語」が連載され、そんな中に「感動のスター・ドキュメント」があったのだ。

 

※本稿は、『ジュリーがいた――沢田研二、56年の光芒』(著:島崎 今日子/文藝春秋)の一部を再編集したものです。

※著者の島崎今日子さんの「崎」は正しくは「たつさき」


ジュリーがいた――沢田研二、56年の光芒』(著:島崎 今日子/文藝春秋)

高度経済成長のまっただ中、誰もが「明日はよりよくなる」と信じることができた時代。
1965年、1人の少年がマイクを握った。その瞬間、彼の運命は、芸能界の歴史は軌道を変えた――。
ザ・タイガースの熱狂、ショーケンとの友愛、「勝手にしやがれ」制作秘話、ヒットチャートから遠ざかりながらも歌い続けた25年間……。バンドメンバー、マネージャー、プロデューサー、共に「沢田研二」を作り上げた69人の証言で織りなす、圧巻のノンフィクション。