対戦格闘ゲームの台頭

1991年。17歳の春、僕はあるゲームと衝撃的な出会いを果たす。

それが、『ストリートファイター2』だった。

当時まだ対戦格闘ゲーム、いわゆる「格ゲー」というジャンルはメジャーではなかったが、その原型となるタイトルは無数に存在していた。

ベルトスクロールアクションの『ダブルドラゴン』(1987年)、もっと前だとプロレスゲームの『エキサイティングアワー』(1985年)。『イー・アル・カンフー』(1985年)。『空手道』(1984年)。そして『ストリートファイター』(1987年)。

ゲーム雑誌で『スト2』の登場を知ったときから待ち続け、ようやく稼働しているのを目にしたときはそのかっこよさに痺れた。

高田馬場駅のホームから見える看板(写真:『ゲーセン戦記-ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀』より)

本物の格闘技のようなスピーディーな展開、多彩なキャラクターごとに設定された複雑で豊富な技。波動拳や昇龍拳コマンドの入力方法も独特で、最初は戸惑った。

しかし数ヶ月もすればみんな当たり前のようにキャラクターを操り、小さなゲームセンターも競うように大会を主催して、じわじわとシーンが盛り上がり始める。

僕が初めて遠征(遠くのゲーセンに遊びに行くこと)をしたのも『スト2』がきっかけだった。

地元、墨田区のゲーセンのコミュニケーションノート(ゲーセンに置かれる、店への要望の伝達やプレイヤー同士の意見交換に使われたノート。当時はまだネットがなく、重要な情報源だった)に「下井草のほうに強い奴がいるぞ」と書かれているのを見て、初めて下井草に行ったのに会えなかったり……。

そういうことがよくあったので、できる限り大会の日に行くようにしていた。

でも、強いプレイヤーと出会っても、どんなプレイをしてるのか見たいだけ。

それなりに強ければ「君、強いね」というやり取りが生まれたかもしれないけど、残念ながら僕はそこまでのプレイヤーではなかった。