池田さん「ハイスコアが流行したのは、『ゲームセンターあらし』の影響も大きかった」(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
新型コロナウイルスの蔓延で、窮地にたたされた業界は多々ありますが「ゲームセンター」業界も例外ではありません。中小店が苦境に立たされる中、多彩なラインナップと企画力で注目されているのが「ゲーセンミカド」です。同店を開店した池田稔さんは、ゲーセン文化について「ハイスコアが流行したのは、『ゲームセンターあらし』の影響も大きかった」と言っていて――。

ゲームセンター文化とスコア

1980年代は、いまとちがって雑誌がまだ大きな影響を持っていた時代だ。

特に、ゲームセンター文化にとって欠かせないのは、電波新聞社が刊行していたPC雑誌『マイコンBASICマガジン』(1982~2003年)と、新声社が発行していた日本初のアーケードゲーム雑誌『ゲーメスト』(1986~99年)である。

僕が『ゲーメスト』を読み始めたのは4号目からだが、書店ではなくゲームセンターで買ったのを覚えている。

この雑誌には当時最新のビデオゲーム情報が記載されており、それを目当てに購入していた。あとはハイスコア集計ページ。全国のゲーセンで集計したゲームのスコアランキングが掲載されているが、どれも「どうやったらこんな点数出るの?」という点数ばかり。

ハイスコアが流行したのは、『ゲームセンターあらし』の影響も大きかった。

「何点いった自慢」の文化が好きだった僕は、当時、ゲームメーカーのハドソンが主催していたゲーム大会「全国キャラバン」の第1回(1985年)にも参加した。

ところが、1978年の『スペースインベーダー』から始まったゲームセンターのスコア文化は、80年代後半から衰退していき、やがて一部のマニアたちの世界になっていく。