「キャビネット型対戦台」という発明

それでも、知らない人同士がゲーセンで対戦する風景は、『スト2』初期はまだ珍しいものだったので、わざわざ見に行く価値があったのだ。

よく年表などで対戦格闘ゲーム流行の始まりは『スト2』であると書かれているが、本格的に流行したのは『ストリートファイター2'』(『スト2'』/1992年)からではないだろうか。

『スト2』が出た当初は、対戦でではなくひとりで遊んでいる人ばかりだった。

たまに対戦台があっても、横並びに筐体が配置されていた。

このポジションでいきなり知らない人と対戦するのは、シャイな日本人の気質には合わない。

その常識を壊したのが「キャビネット型対戦台」という発明だった。

2台のキャビネット筐体を背中合わせに並べ、相手が見えないように配置することで対戦のハードルを低くしたのだ。

この発明は、ゲームメーカーではなく福岡の「モンキーハウス」というゲームセンターによる。

ちなみに、現在ミカドのスタッフであり、僕よりも古くからゲーム業界にいる山岸勇によれば、東京での対戦台発祥は、下井草にあった「ヒノーズ」だという。

その当時でもやはり「キャビネット型対戦台」の存在は珍しく、僕個人の観測範囲内でも、『スト2』が出るまではメジャーな存在ではなかった。

こうして『スト2』の出現と対戦格闘の流行によって「格ゲー」ブームが興り、ゲームセンターは80年代に続く黄金時代を迎える。

豊かに育つアーケードゲーム文化に包まれながら青春を謳歌する僕だった。

※本稿は、『ゲーセン戦記-ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


ゲーセン戦記-ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀』(著:池田稔・ナカガワヒロユキ/中央公論新社)

「ゲーマーの聖地」として国内外で名を知られる「ゲーセンミカド」。中小店が苦境に立たされる中、多彩なラインナップと企画力で愛され続けている。同店の池田店長が、数々の名作を振り返りながら現場のリアルを語る。『ゼビウス』『グラディウス』などシューティングブームの流行から、『ストリートファイターⅡ』『バーチャファイター2』など格ゲーの隆盛、経営の試行錯誤や業界への提言まで、ゲーセンの歴史と未来を描いた一冊。