「ママ、私はさ。聞いてる? ママ!」
「はい、はい、なに?」
「勉強できるようになりたいの」
「はい」
「ママ、ゆるいからさ」
「いいじゃない、うるさく言われるより」
「みんなからは羨ましがられるけど」
「自慢のママじゃない」
「ゆるすぎる」
「ゆるくしてくださり、ありがとうございますって言ってほしいです」
「は?」
「厳しかったら厳しかったで、厳しすぎるって言い出しますから。人間て、そんなものですから」
「ママといても、全然勉強できるようにならないもん」
「……」
「おばあちゃん生きてたら勉強できるようになったのに」

娘は、わたしの母によく勉強を見てもらっていた。違う。見てくださいと言ったことは一度もないが、母は、それが自分の仕事だと言わんばかりに、宿題だけでなくドリルなども買って準備して娘を待ち構えていた。

「あなた、おばあちゃんに勉強教えてもらうの嫌だって言ってたよ」
「あの時はね」
「あの時」
「だって、おばあちゃん、問題解けないと、こんな問題も解けないの、上の学年に上がれないよ、もうおばあちゃん勉強こんなにできないの見て熱が出てきたって言ってた」
「嫌すぎるじゃない! つらい、聞いてるだけで、つらいじゃない!」
「おばあちゃん、寝こんでた」

わたしが「勉強教えなくていいよ」と言っても、娘に勉強を教えるのをやめなかった母。亡くなる前数年は、悪性リンパ腫を患っていたが、抗がん剤治療をしながら自宅に戻り、戻ると娘が来ることを楽しみにして、勉強を教えるのが自身の役割だと思っていた。「私がいなくなったら誰がこの子に勉強教えるの、心配」と言っていた。