史料をもとに真実を探る楽しみ

歴史において難しいのが、国や政権が編纂する「正史」の扱いです。

古代の歴史に関しては、『古事記』や『日本書紀』『続日本紀』など六国史(りっこくし・古代に編纂された6つの正史)以外に、まとまって書かれた史料は見つかっていません。

最近は木簡(墨で文字が書かれた木片)の発掘が相次ぎ、六国史と異なる史実が明らかになってきましたが、断片的な場合が多く、いまだに正史が重要な史料であることに変わりはありません。

ただし、ここで注意していただきたいのは、正史というのは、時の政権によって都合よく書かれている場合が多い、という点です。たとえば、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』は鎌倉時代の後期につくられましたが、権力者の北条氏に都合のいいように書かれています。

ですから、正史は貴重な史料ですが、当時の日記や手紙などと併せて、総合的な見地から推し量る必要があります。

新たな手紙などの発見により、より詳細な事実が明らかになる場合もあります。たとえば、軍記物で「人たらし」に描かれる豊臣秀吉ですが、近年、彼が城づくりにたずさわる労働者一人一人に声をかけたという直江兼続の手紙が発見され、史実の可能性が出てきました。

ただ、一次史料である手紙も必ずしも真実を伝えているとは限りません。とくに戦国時代ともなれば、駆け引きの道具として手紙が使われることもあり、虚実ないまぜの可能性があるのです。それが証拠に秀吉は、織田信長が本能寺の変で亡くなった後も、書状で「信長は生きている」という誤報を流しているのです。

ですから、できるだけ多くの一次史料を集め、あやしいものを除く史料批判を行い、事実を明らかにしていく地道な作業が研究者には求められているのです。