兄はというと、厳しい父に反発し、僕が中学に上がる頃には地方都市によくいるヤンキーに。母は、兄が高校卒業後に家を飛び出して本格的に不良になっても、かばい続けました。あるときふらりと家に戻った兄がひきこもっていた僕とケンカになり、僕がボコボコに殴られ血まみれになっても兄の肩を持つ。そんな母を見て、諦めに似た感覚を覚えましたね。
でも今になって考えると、学校にも行かず、昼夜逆転の生活で夜中に冷蔵庫をあさってはぶくぶくと太り、さらには服を着るのも面倒だからとパンツ一丁で家の中をうろついている息子と常に顔をつき合わせているのは、専業主婦だった母からすればきつかったと思います。相当のストレスだったでしょう。
ひきこもっている間には、両親が不登校の子を持つ親の集まりに行ったのか、あまりうるさく言わず見守る態度に変わった時期もありましたし、ひきこもりが3年、4年と長引くなかで「自立しろ」と言われ、実家近くのアパートで一人暮らしをしたこともありましたね。
「働かざる者食うべからず」という父の方針でコンビニのアルバイトもしましたが、店内に流れるJポップの歌詞が、当時の僕には地獄の苦しみ。「前向きにがんばりましょう」「きっとあなたにしかできないことがある」みたいなキラキラしたメッセージにさらされると、学歴社会から外れ、何者にもなれない自分はどれだけ無価値なんだと、自己嫌悪に襲われるのです。結局、何をしてもひきこもりから抜け出すことはできませんでした。
親自身の人生は犠牲にしてほしくない
転機が訪れたのは、20歳になる少し前。職場での浮気がバレて左遷された父と、母に実家を追い出された僕とで、瀬戸内海の小島で暮らしていた頃でした。
テレビで成人式のニュースを見て、突如として「このままでは同世代の人間から完全に置いていかれる」と焦ったんです。それから必死に勉強して大検を取り、四国にある国立大学へもぐりこみました。しかしその大学も、芸人をめざして東京へ出るときに、あっさり中退してしまうのですが。(笑)
その後、お笑い芸人になり、コンビ「髭男爵」としてテレビに出られるようになるまでも、社会からはドロップアウトしたようなもの。親としては、相変わらず「どうなってんねん」という気持ちだったでしょう。