今、僕が改めて思うのは、「ひきこもりは、こうすれば解決する」という正解は、たぶんどこにもないということ。親にしてみても自分たちが知ることのできる範囲、考えられる範囲で、そのときわが子に良かれと思うことを、やれる範囲でやるしかないのではないでしょうか。
両親の僕への言葉も態度も、寄り添うようなものではなかったですし、ふるまい方はどちらかというと下手ではあったけれど、悪ではなかった。もっとああしてくれればと、恨む気持ちもありません。
問題を抱えた子どもにうまく寄り添えないからといって、僕は親が悪いとは思わない。子どもって自分の人生が始まったばかりでキラキラしているぶん、大人の人生を「もう終わりかけ」と軽視しがちじゃないですか。しかし自分も人の親になり、あの頃の両親の年齢に近づいて思うのは、親には親の人生があり、毎日を愉快に過ごしたいと考えて当然だということでした。
だから僕は、もし子どもがひきこもりになっても、お母さんには仕事や、趣味のテニスサークルや陶芸教室をやめないでほしい。子どものために親が人生を犠牲にすると、家の空気が沈んでしまいます。それは子どもにも影響するし、そこまでしたって事態が好転しない可能性もある。
ひきこもりの子どもがいるとなると、世の中は「家族で解決すべき問題」という空気になります。これはしんどいです。親だって、絶望的な気持ちになるんじゃないですか。
一つだけ言えるとしたら、ひきこもりは結局、お金の問題が大きいということ。ひきこもったままで、何年生きていけるか。親がいる間は年金で生活を維持できても、死んだらどうなるか。親としても、たまには美味しいものも食べたいし、友だちにも会いたい。そういうお金も含めて計算して、「あなたがひきこもれるのは、あと何年です」と説明したらいいと思いますね。
僕が自分の経験を『ヒキコモリ漂流記』という本に書いたのは、学校や仕事で悩んでいる若い人に、「ひきこもると、こんなに面倒くさいで」と伝えるためでした。こうした取材でよく、「ひきこもっていた時間も貴重な経験では?」と聞かれますが、僕は完全に無駄だったと思う。やっぱりその6年間、友だちと遊んだり勉強したり、花火やバーベキューをしたほうが絶対によかった。