撮影:霜越春樹

おっちゃんとおしゃべりしていると、時間がたつのも忘れるほど話がおもしろかった。自分を飾ったり自慢したりすることがまったくないし、こちらに迎合することもなくてね。多弁ではないけれど、私が何か言うと「いや、当時はこういう人も多かったで」などと違う見方で切り込んできてくれるの。男性の視点やものの見方、考えつかない発想をずいぶん教えてもらいました。

その結婚で突然、育ち盛りの4人の子持ちになったので、一時は「執筆の時間がないでしょう。どうやってつくってはるんですか」とよく聞かれました。だけど時間なんて、どないでも出てくるんです。できないと言い訳するのは、自分がそれをしたくないからではないかしら。

私が48歳のとき、おっちゃんが脳梗塞で倒れて、その後は母の介護も加わりましたけど、同じです。妹や弟が「おねえちゃん、代わろか?」と声をかけてくれるのに甘えたり、介護の専門家の力を借りたりしながら、執筆も講演もこなしていました。

やれへんと思ったらできない。無理かなあと思っても、「もうちょっとがんばってみよ」と“だましだまし”、自分をすかしたりなだめたりしながらやってきましたねえ。

 

「老いること」にクサらないためには

望むと否とにかかわらず、「老い」はいつの間にか、音を立てずにやってきます。忙しさにかまけて、私も50、60のころはそれに気づかずにまだまだ若いつもりで行動していました。どこかに、自分が老いてきたことを認めたくないという気持ちもあったでしょう。

でもそれは悪いことじゃないの。一縷の「若さ」を保ちつつも、「まだまだや」と虚勢を張らずにはいられない。そこに、男も女も色気があると言ってもいいんじゃないかしらね。

いまから9年前(2002年)、おっちゃんが亡くなりました。おっちゃんは医者のくせに、自分が病気になっても「人間は寿命がきたら自然に亡くなる」と恬淡としたもので、奄美の島の人らしい、自然に根ざした死生観を持っていました。別離の哀しみはいまも忘れてはいませんが、年月がたつほどに少しずつ薄れていく……これは老いることのよさではないでしょうか。

老いても気持ちをクサらせないコツは、楽しいことやうれしいことだけを覚えておくこと。神サンに「こっちへおいで」と言われたとき、楽しい思い出ばかり持っていきたいし。(笑)

いまは「毎日がばら色」ですよ。ここまできたら、先の取り越し苦労をせず、元気に楽しく生きることが一番でしょうね。つらいことがあったり、気力、体力で頑張れなくなったりしたら、無理をせず、いままでのペースをやめて、次の電車に「乗り換え」たっていいんですよ。