「心の匂い」は、つらいときのクスリ

東日本大震災後、一人でいることに不安を感じて結婚を考える女性が増えているそうですね。女性は、話の合う男性を見つけたらそれでいいとも言える。でもね、話が合うからいいとも限らないの。合わせているだけかもしれないでしょう。もっとも、おもねるところのある相手だとしても、女にはそれを見抜くカンがあるからすぐわかります。

男も女も、これを言ったら人を傷つけるということに敏感でないといけません。人を傷つける言葉とか、ものの考え方とかが自分と同じような相手でなければ続きませんよ。相手の気持ちを見抜けないというのは、人間として最低なんです。

ほんとうのところ、何度も誤魔化され、怖い思いをしてこそ、人間はお腹が固まってくるのよ。ハラワタが煮えくり返る思いをした人は「こういう言い方されたら人はつらい」と知っているから、余計なことは言いません。

だけど、「これは言うとかんとアカン」というのがきっちりあってこその大人ですよ。言われたほうはおもしろくないかもしれないけれど、それも勉強よ。「あほんだら、よう考えてみィ」と叱ってくれる人がいることが、どれだけありがたいことか。

まあ、人間、ええときもあれば悪いときもあります。誰かが困っているとき、周囲の人たちにできるのは、たとえば押し黙っていた人が口を開きかけたら、傍にいてじっくり話を聞いて差し上げることなんだと思います。

何も言わなくても、気持ちは人に移るもの。それは、「心の匂い」だから。落ち込んでいるとき、「この人、私のことを心配してくれているんだわ」とわかるだけで、ものすごく慰めになります。

自分自身がせっぱ詰まって「もうアカン。お手上げや」と思うことがあったら? そういうときは、「そや、お昼でも食べよ」と声に出して言うてみたらよろしい。実際にお腹が満たされたら、「あんなに心配したん何やったんやろ。アホらし」ということもありますよ。

それにね、行き詰まっているように思えるときでも、よーく見渡せば「この道、ぬけられます」の看板がいたるところにあるものなの。その看板に出合うまで、迷い道に入ったり、大回りしたりするかもしれないけれど、必ず「ぬけ道」はありますよ。それまでは、“だましだまし”自分をあしらって、やっていくことね。いつでもボチボチいきましょう。

 


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