十八首の歌に導かれて

彼女のイメージを貶めたのは、観阿弥・世阿弥による能楽作品でしょう。小町に求愛した深草少将の悲劇を描いた「百夜通い」や、小町が男を袖にした報いを受ける「通小町」「卒塔婆小町」では、いずれも美女零落の無惨さが強調されています。

最後は乞食に身を落とし、野垂れ死にして髑髏(しゃれこうべ)になり、その眼窩から千萱(ちがや)が吹き出し、「痛い痛い」と言ったとか。私は、小町がそんな悲惨な人生を送るはずがないという気がしていたのです。それは1100年も生き続けてきた彼女の歌が証明しています。

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

花の命の移ろいと、人の世の儚さを表現した小町の代表作は、百人一首でおなじみ。小町の人生を伝える資料はなく、残されたのは歌のみです。しかも、『後撰集』に収められた四首は小町の歌と断定できず、『小町集』は小町風の歌を集めたもの。

紀貫之らが編纂した『古今和歌集』に収められた十八首だけが、間違いなく小町の歌です。私はこの十八首に導かれて、詠んだ年齢を想像しながら小町の心の流れを追っていきました。

若い頃は実体験が少ないこともあって、夢の歌が多く、気持ちもストレート。中期は掛詞(かけことば)が巧みに使われており、知識を駆使して技巧的な歌を多く詠んでいる。そして晩年は、素直な表現こそが人の心を打つことを実感し、直接的な表現に戻ったのではないか、と。

また、いくつかの相聞歌は、いつ、どこでやり取りされたのだろうかと想像していくうちに、小町の辿った道が見えてきました。