当時、私は55歳。釡山での駐在中は自分のためになにか習得したいと考えていました。真っ先に思い浮かんだのがポジャギです。そしてせっかく住むのだから、女性たちの針仕事によって伝えられてきたポジャギを通じて、この国の文化を知りたかった。
すぐに「教室に通おう」と決めました。少し韓国語を学び、挨拶くらいできるようになってから(笑)、デパートのカルチャースクールの講座を受講することに。
長くアメリカンキルトを続けてきたので、言葉はわからなくても先生の手元を見ればおよその見当がつきました。
もともと、家族のために作った韓服の余り布の端切れを縫い合わせ、身の回りのものを作ったり、慶事で使ったりしたのがポジャギ。アンティーク品で、庶民の手によるものに木綿や麻、宮廷や両班(ヤンバン)の家で作られたものに絹が多いのはそのためです。
どこの国でも同じですが、古いものは廃れ、日常のなかの「用の美」は埋もれていきます。すでに当時、ポジャギは家庭に当たり前にあるものではなくなっていて、私が通える教室もひとつだけでした。
ただ、韓国ドラマを見ていて皆さんの目に留まったように、私たち日本人の目にはとても印象的に映ったと思います。近年では斬新なデザインや色彩の組み合わせなど、その芸術性の高さが再評価されています。