「不完全燃焼」の理由

では、なぜそうしなかったのか。自分で思っていた終わり方と違っていたからです。分かりやすい言葉でいえば「不完全燃焼」。

球団に呼ばれたのは9月で、来シーズン必要な選手とそうでない選手の線引きをする時期でした。チームに新陳代謝は必要ですから、僕が戦力外と判断されたこと自体はなんの問題もありません。ただ、もう少し早い段階でチーム方針を伝えてほしかった。これは僕の勝手な言い分かもしれませんが、事務的に通達を受けた、という印象が残ったことは否めません。

『#みんな大好き能見さんの美学(ポーカーフェイスの内側すべて明かします)』(著:能見篤史/ベースボール・マガジン社)

そしてもう一つ、コロナ禍も要因だった気がします。ちょうどその年、新型コロナウィルス感染症が流行し始め、社会全体が影響を受けました。

プロ野球も例外ではなく、開幕は6月19日、延長は10回まで、無観客試合が続いたり、お客さんが入るようになっても人数制限があったり……さまざまなことが“ふつう”ではありませんでした。そのことが余計に「不完全燃焼」という感覚を強くさせたのだと思います。

現役続行を決めてからは、アピールの気持ちでマウンドに上がりました。チームの勝利に貢献するため、というのは大前提として、それプラス、どこかの球団関係者の目に留まるように、と。

自然とストレートが多くなりましたね。真っすぐにチカラがなければ、40歳を過ぎたピッチャーを獲ってくれる球団などないでしょうから、そこを見てもらいたくて。全力で投げたので、スピードも上がっていたようです。最後の登板(11月11日、対横浜DeNA=甲子園)では149キロをマークしました。