能見さん「選手たちの成長を『うれしい』と感じるようになった」(写真提供:ベースボール・マガジン社)
ジャイアンツ打線から三振の山を築いて「巨人キラー」と呼ばれ、22年シーズンを最後に現役引退した能見篤史さん。引退試合では、代名詞の「世界一美しいワインドアップ」で三振を奪った姿に胸を熱くさせたファンの方も多くいらっしゃることでしょう。能見さんは阪神タイガース、オリックス・バファローズで選手、コーチとして18年間活躍し、現在は、野球評論家として活動中です。その能見さん、ある時から「選手たちの成長を『うれしい』と感じるようになった」と言っていて――。

「来季構想外」から現役続行の道を選ぶ

2022年シーズン限りで、僕、能見篤史は現役生活にピリオドを打ちました。

25歳でプロの世界に入って18年。まさか43歳になるまで現役を続けられるとは想像もしていませんでした。最後の年は球界最年長投手でしたからね。われながらよくやったと思います。

「引退」の2文字が頭をよぎるようになったのは4、5年前。年齢は特に意識しませんでしたが、とはいえ、向き合わざるを得ないものです。日々のトレーニングや練習の中で、できていたはずのことがどんどんできなくなる……そこは否応なく現実を突きつけられました。

年齢を重ねれば体力が落ちていくのは必然。走っていて足が急に遅くなることはありませんが、体の回復が遅くなるので本数を走れなくなります。それを感じるようになったのは35歳くらいからでしょうか。最初は元気よく走れても、だんだんと足が動かなくなってくる。それはもう、どうしようもないことでした。

20年のシーズン終盤、阪神タイガースから「来季構想外」と言われたとき、僕は41歳でした。自分の体と相談して、成績を見て、そろそろかな、まだやれるかな……そんなふうに葛藤していたので、正直、そこで決断してもおかしくありませんでした。

でも、僕は現役続行の道を選んだ。タイガースで終わるのがベストだったかもしれません。実際、そうなると思っていたし、他球団のユニフォームを着るなど考えたこともありませんでした。14年に国内フリーエージェントの権利を取得し、そのオフに行使した上で残留したのも、タテジマで現役を終えるつもりだったからです。