中学2年生ぐらいの頃、谷川岳にて。右は父・孫一さん(撮影:三宅修)

劇場の片隅で途方に暮れて

串田さんは中学時代から演劇部に所属。文学座、俳優座、劇団民藝の芝居を一人で観て歩く一方、父である詩人で哲学者の串田孫一氏の影響もあって、山登りの孤独な世界も十分味わっている。

――演劇ひと筋じゃなく、別のこともしようと思ってね。中学2年になる春休みに、初めて父と谷川岳に登った。無人の山小屋で煤まみれになりながらスープを作って食べたりして、こんな楽しい、夢みたいな世界があるんだ、と興奮して。

「次は一人で山に行く」と言ったら、父が地図の読み方から教えてくれた。一人だと誰にも見られてないわけだけど、おにぎり食べるにもどの岩に腰かけようかと、ちょっと考える。人が見てないからとだらしなくするのはいやだからね。また別の岩に腰かけてハーモニカ吹いたりね。一度遭難しかかって途方に暮れたこともあった。

転機って、この途方に暮れる時、訪れるんじゃないのかな。日が暮れてきて、さてどうしよう、って時に、あーっ、と落ち込んだら絶対ダメ。何かこう、明るくワクワクするような気も交えて、雨が降った時の対策とかを考えていると、頭が冴えてくるんだよね。

のちに自由劇場を立ち上げて、その7年後くらいにみんないなくなって借金だらけになり、いろんなことが壊れちゃった時に、あの山で遭難しかけた時の肝の決め方みたいなものが甦ってきて、きっとなんとかなるぞと思ってた。

それでオンシアター自由劇場として本格的な演劇活動を再開することになる(75年)。話は飛ぶけど、この時が第2の転機と言えるのかもしれないね。