由紀 ええ。母も、先が長くないことは感じていたと思う。ある時、安田音楽事務所を兄に任せるのはどうかと相談されて。でも兄はこの業界に詳しくないし、私がデビューする時に作った事務所だから、私が責任をもって引き継ぐって伝えたの。お姉ちゃんも賛成してくれてね。
安田 もちろんよ。私は「あら、そうなの?いいわよ」が口癖ですから(笑)。あなたがずっと母と同居してくれていたこと、介護の主導権を握ってくれていたことにも本当に感謝しているの。
由紀 母がいよいよという時、病室に集まった私たちにお医者様が、「この薬を使うと痛みを和らげることはできますが、意識が朦朧として話ができなくなります。どうしますか?」と尋ねてきて……。私たちは動揺してしまったけれど、兄が、「これだけ頑張ってきたんだから、もうラクにしてあげよう」って大きな決断をしてくれた。
安田 それで母を囲み、みんなで「みかんの花咲く丘」を大合唱したのよね。
由紀 母の最後の言葉は、「もういいから、向こうに行って遊びなさい」。
安田 母のなかで私たちは、仲よく遊んでいた子ども時代に戻っていたのかも。
由紀 そうね。だからこそ、これからもきょうだい仲よくいたい。兄は私たちのコンサートによく来てくれていたけれど、1年前に腰の手術をしてからは足が遠のいてしまっているのが残念……。
安田 たまに3人で食事をしたり、年に1回は一緒にお墓参りに行ったりしているけれど、心配よね。兄は86歳になり、私は81歳、あなたは76歳になりました。いろいろガタがくるお年頃(笑)。体のメンテナンスもしていかないと。
由紀 私はパーソナルトレーナーと耳鼻科の先生にお世話になりながら、頑張っているわ。
安田 私も、健康体操の自彊術で体幹を鍛えているの。85歳まで、7cmのヒールを履いて2時間のステージに立ちたいから。
由紀 負けてられないわね。先を歩くお姉ちゃんに、ついていかなきゃ!