アマチュアからプロへ
北海道日本ハムファイターズは、大谷翔平を獲得した。背番号は、ダルビッシュ有がつけていた11番に決まった。
実際、日本ハムは大谷の入団で何を得ることになったのだろうか。
強豪校である花巻東高校出身の大谷は、3年生のときに岩手大会で何度も記録的な速球を投げ、スカウトたちを驚嘆させた。とはいえ、まだ完成された投手とは言いがたく、コントロール力、安定した球を投げるピッチングの精度などには課題があった。
「バッティングもできる普通の投手という感じだった」1994年から日本の野球界を分析し続けている共同通信社のジム・アレンは、大谷を客観的に評した。
春季キャンプでは投手のメニューだけでなく、ショートとしても練習を重ねた。そうすることで右腕を酷使せず、故障を避けるという狙いがあったようだ。
日本に残るという選択肢が正しかったことは、すぐに明らかになった。層の厚い日本のプロ野球界では、多くの新人と同じように大谷も好不調の波をやり過ごすことが可能となったのだ。それでも、この若き新人選手にはやはり光るものがあり、体も技術も今後さらに向上していくであろうことが予想された。
大谷のデビュー戦は2013年3月29日だった。開幕戦のその日、初打席は三振に終わったものの、埼玉西武ライオンズのエース岸孝之に対し、大谷は2安打1打点を上げた。
5月23日には初登板し、東京ヤクルトスワローズを相手に粘るが5回で2失点を喫する。そして7月10日にはプロ入り後初のホームランを放った。
1年目の大谷は打率.238、3本塁打という成績で、外野手としては54試合に出場した。しかし鋭いヒットを放つスタイルでツーベースヒットを15本記録した。なお、守備での7補殺はパ・リーグ3位である。
投手としても決して悪くはない1年だった。3試合で勝利投手となり、防御率は4.23、全13登板のうち先発は11登板、61と2/3イニングを投げた。
試合前のバッティング練習にも注目が集まっていた。今でもそうだが、当時から練習中にホームランを量産し、観ている者たちを圧倒していたのだ。