投打双方で起用した日本ハム

「毎晩、大谷のニュースが流れていたよ」とアレンは振り返る。

賛否両論の意見はあったものの、大谷と約束した通り、日本ハムは投打双方で彼を起用していた。

『大谷翔平 二刀流メジャーリーガー誕生の軌跡』(著:ジェイ・パリス、訳:関麻衣子/辰巳出版)

「大谷を打席に立たせることには批判も多かった。新人だし、.238の打率なんて大したことはないからね」とアレンは言う。

それでもファンにとって大谷は至宝であり、足首や頬骨の負傷による欠場があったにも関わらず、投票によってオールスター・ゲームに外野手で選出された。

球団は大谷が独特の選手であり、才能があることを確信していた。プロ1年目は派手な活躍がなくとも着実に歩んだ年であり、新人王の投票では則本昂大に大差をつけられて2位となったが、選んだ道は正しかったのだと本人も確信していた。

2年目は投手としての出番がより多くなり、24試合で先発、11勝4敗という結果を出す。9イニングの奪三振率10.4はトップレベルで、トータルで155と1/3イニングを投げて179奪三振という成績を残し、パ・リーグで3位となった。

当然ながら打者らは大谷の速球を受けるのを好まなかったし、特にストレートに見えて鋭く落ちるスプリットは彼らを苦しませた。

打者としての大谷はどうだったか。2年目も、もちろん打席には立っていた。打率は.274、10本塁打、31打点、OPS(出塁率+長打率)は.842という記録を残している。