体力の衰えを自覚できない父

私とやり合うと、父は急に頭の回転が良くなってくる。それでもベッドから出るのが面倒らしく、父なりに言い訳を始めた。

「年を取ると、あまり食べなくなるのは普通だと、誰かがテレビで言っていた」

私はピンときて、父に言った。

「そのテレビ番組、私も一緒に見ていたから知っているよ。聖路加病院の院長をされていた日野原重明先生が、バナナ1本しか食べなくても元気だっておっしゃっていたことでしょ?」

「あぁ、その話だ」

「だけどパパ、人は人。自分のことを考えようよ」

私は父の背中に手を差し込み、体を起こしてベッドサイドに座らせた。ところが、着替えの用意をしている隙に、父はまたベッドに横になってしまった。

私は父に聞いた。

「起きているのがこわいの?」

北海道の方言で、体が辛いことや疲労感が強いことを「こわい」という。

「いや、そうでもないけど、起きてもすることがないから…‥起きる意味がない」

こうなったら、食べ物で釣るしかない。

「茨城の赤肉メロンが売っていたから買ってきたの。食べてみようよ」

ようやく父はその気になったらしく、自力で体を起こしたものの、甘えた声で私に言う。

「着替えさせてくれ」

父の気が変わらないうちに急いでパジャマを脱がせ、肌着と部屋着を着せ、靴下を履かせた。

足取りは危なっかしいが、父は私の手を借りずに歩いてトイレに行き、用を足すと居間にやってきた。

「顔や手を拭いてあげようか?」

子どものようにうなずく父の顔を丁寧にタオルで拭いてから、一口大に切ったメロンを目の前に置いた。

「あ、うまいな」

ちょっとでも食べてくれたので、私はうれしい気持ちになった。しかし、喜んでばかりはいられない。父は明らかに、日中の見守りがない環境で過ごすのは無理になりつつある。

これまで何度もケアマネージャーに相談してきた。訪問看護や介護を頼むべきだと、父に言ってもらうのだが、父は頑として受け入れず、必ず同じセリフを言う。

「私は元気です。洗濯や晩ご飯は久美子がするから、よその人に来てもらわなくても大丈夫です」

それを聞くたびに、私はため息が出た。認知症のせいなのか、父は自分の体力の衰えを自覚できていないのだ。どのようなケアを受けるかは、本人の同意なしでは進められない、と介護保険のルールで決められているようだ。私はほとほと困っていた。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)