イメージ(写真提供:Photo AC)
高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、94歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。

前回〈足元が怪しいのに、杖を拒む94歳の父。子どもの世話になりたくないのに自立できないジレンマは、子どものそれにも似ている〉はこちら

水も飲まず、食事もせず、目力がなくなってきた父

5月の連休前から、私は体調のすぐれない日が続いていた。新型コロナウィルスの行動制限がほぼなくなり、急に出張や仕事の量が増えたが、父のことを放ってはおけない。

それまで通り夕方には父の家に行き、話し相手をしながら食事の支度をしている。

父は医師からもらっている睡眠導入剤を飲んで寝るのが習慣となっているが、飲んだのを忘れてまた飲む可能性があるため、午後9時前に私が1錠だけ渡す。そして、父が寝る体制になったのを見届け、車で急いで自宅に帰り、中断していた小説や論文の執筆を再開する。

寝る時間を削って仕事するしかない生活が、66歳の私には相当堪えている。不眠、倦怠感、のどの痛み、鼻水などの症状を、市販の風邪薬を飲んで抑えるしかない。

父よりも私の方が不健康な気がするが、父にご飯を食べさせない訳にはいかない。夕方になると食料品を買い、父の住む家に向かう。

春先までは、玄関のブザーを鳴らすとドアを開けて出てきてくれた父だが、5月になると反応しなくなってしまった。郵便受けには、朝刊が刺さったままだ。

鍵を開けて家に入ると、居間はカーテンが閉まっていて暗い。

前夜私が作った昼食用のおにぎりも、近くに住む義妹が朝テーブルにセットして出かけるサラダと目玉焼きも、ラップがかかったままだ。口をつけた形跡はない。

北海道は5月までは涼しいので、いつも2食分を食卓テーブルに置いてある。

「久美子だよ」

寝室に行って声をかけると、父がうっすらと目を開けて言った。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

「あぁ、来ていたのか」

生きていたことにホッとしたが、つい、私は子どもを叱る母親の口調になってしまう。

「パパ、朝起きたら、水くらい飲んでよ。唇が渇いてるよ」

父の枕元に昨夜置いたコップの麦茶は、1センチ程しか減っていない。経口補水液のペットボトルも、手の届くところにあるのだが全く飲んでいない。

このままでは昨夏のように、脱水症で点滴が必要になるかもしれない。

父はベッドでは物を口にしないので、居間へ連れていく。私は父の手を取り、今度は優しく言った。

「何か食べなければ、弱ってしまうよ」

父は力の入らない目のままだが、少ししっかりしてきて、明確に意思を示した。

「動きたくないな」

「あのね、今は夕方の4時。昨日晩ご飯を食べたのは6時半。おなかが空かないなんて、変じゃない?」