お願いだから、ご飯を食べて

夕食だけでもちゃんと食べてもらおうと、できるだけ父の好きなものを作った。例えば、塩鮭、ミツバのおひたし、カボチャの煮物。食べるように促すが、父は箸でちょっとつまむだけだ。結果、2時間もかけて食事するのを見守ることになる。

その間、父はずっとテレビの画面をボーッと見つめている。このところすっかり、目力がなくなってしまった。

翌日、好物なら食べてくれるのではないかと、札幌駅前にある有名海産物店で筋子を買ってみた。

炊き立てご飯に赤い筋子のコントラストは美しい。見るからにおいしそうで、父の食欲もそそられるだろうと期待していた。

「佐藤水産のだからおいしいよ。食べてみて」

「ここの店の筋子はうまいよな」

という割には、父は見ているだけで手を付けない。

「その筋子、一切れ200円か300円だよ。早く食べないと乾いてしまって、味が落ちるよ。もったいないでしょ」

「あぁ。おいしそうだと思って、見て楽しんでいるんだ」

相変わらず口だけは達者だが、父はせっかくの筋子を結局食べなかった。乾いてしまった筋子とご飯は、もったいないが捨てるしかない。

食べ物を粗末にするように感じて、父が食べなかったものを捨てる度に私は気が滅入る。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

94歳の父が少食になっていくのは自然の摂理だと思うものの、日に日に痩せていくのを見ているのは忍びない。いろいろな食事のパターンを実験的に試してみた結果、お子様メニューなら少しは食べられるのがわかった。

ハンバーグ、コーンスープ、カレーライス、そばの汁。そして、メロンなどのツルンと飲み込めるもの。食べられるかどうかの決め手は、のど越しの良さにかかっているようだ。

一方で、父は気分の良い日は、ラーメンやそばを外で食べたいと言い出す。

急にシャキッとして、自分で着替え、出かけようと張り切る父。外食すると、ある程度の量を食べられるので、週に2回もそば屋に連れて行ったことがある。

父のことが気になりながらも、夕方にしか行ってあげられない日が多い。日中の父の様子が心配でしょうがなかった。私はこれまで自覚していなかったが、かなりのファザコンなのかもしれない。