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通常の家庭では、親が子どもに道徳観念や“人として”大切なことを教える。だが、中には歪んだ感情をぶつける相手に「我が子」を選ぶ親もいる。そういった場合、子どもは親に必要なあれこれを教わることができない。私の親も、まさにそれだった。
だが、そんな私に生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたものがある。それが、「本」という存在だった。
このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた私=碧月はるの原体験でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

前回「両親の虐待から逃れ、安心できる巣を手に入れるまで。辛酸を舐めた先で私が求めたささやかな願い」はこちら

自由と共にある圧倒的な孤独

虐待する両親から逃れ、自分だけの巣を手に入れた。実家では許されなかった、ゆっくりお風呂に入る贅沢。それが叶う環境で、私は今生きている。そう思うだけで、気持ちが高揚した。湯船にお湯を張る。今のように自動ボタンでお湯張りができる時代ではなく、蛇口でお湯と水の温度調整をして、お湯が溜まるのを待った。ドボドボと音を立てて流れるお湯から、勢いよく蒸気が立ち込める。狭い浴室内は、あっという間に湯気で満たされた。

お気に入りの本がふやけたり濡れたりしてしまうのは嫌だったので、ラップとアルミホイルで表面を厳重に包んだ。ブックカバーを買うお金を、当時の私は持ち合わせていなかった。

何の本を読むかは、最初に決めていた。出会ってすぐに惚れ込んでしまった、数少ない愛読書。

“私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。”

言わずと知れた吉本ばなな氏による小説、『キッチン』である。冒頭文を読み、この作品はキッチンの床に座り込んで読むべきだったかと逡巡したが、「お風呂で読書」の誘惑に抗えず、結局そのまま読み進めた。

主人公のみかげは、唯一の家族である祖母を亡くし、天涯孤独の身となった。寂しくて、茫然自失のまま過ごすみかげは、毎晩キッチンの床で眠った。

“涙があんまり出ない飽和した悲しみにともなう、柔らかな眠けをそっとひきずっていって、しんと光る台所にふとんを敷いた。ライナスのように毛布にくるまって眠る。冷蔵庫のぶーんという音が、私を孤独な思考から守った。”

一人暮らしの自由と、それに伴う圧倒的な孤独。それを痛感していた当時の私にとって、冷蔵庫の振動音に安らぎを見出すみかげの存在は、とても近しいものに感じた。両親の虐待から解放された喜びと、優しかった祖父母や幼馴染を恋しく思う気持ち。その両者は私の中に同時に存在していて、懐かしい原風景を想起するたび、「私は今、独りなんだ」と思った。